ちゅらかじとがちまやぁ

映画「ひめゆり」を観て・・・・・

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今日3月23日は、沖縄師範学校女子部と第一高女の女生徒15歳から19歳の240人が招集され南風原の陸軍病院に移動した日だ。そして上陸を控えた米軍の艦砲射撃もこの日から始まった。13年をかけて製作された映画「ひめゆり」の日本で最初の公開日をこの日にしたのはしごく当然の事だろう。桜坂劇場の会場の席にはひめゆり同窓会の方々もみえられている。
映画の上映前に生存者の本村つるさん、宮良ルリさん、宮城喜久子と監督とのトークショーが行われた。
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ひめゆり学徒隊の活躍や悲惨な状況は、映画や本などで知ってはいたが、本人の口から聞く体験談はその重みが違う。
現在の栄町RYUBOの駐車場のあたりに集合して歩いて赴任先に向かう生徒達の多くは、まさか生きて戻れないとは思ってもみなかったらしい。師範学校の最上級生達は2日後の25日卒業式を控えていた。宿題の用意をしていた生徒も多く、戦争が終わったらまた元の生活が始まると当然のように考えていて、歩いて向かう道中はまるで遠足の様な雰囲気も漂っていたらしい。
映画は当時の状況を生き残った方々が、その現場に行って体験を語るという形で進んでいく。戦後初めてその現場を訪れる人も多い。語られる内容は衝撃そのものだった。
敗走を続ける日本軍と共に行動を共にし、南部に追い詰められ放り出されるような解散命令。犠牲者の多くはこの命令後に集中している。
沖縄南部のごく狭い土地に、日本軍、住民が追い詰められ、後ろからは米軍の地上部隊が迫り空からは戦闘機の機銃掃射、どん詰まりの海岸は断崖絶壁、海を埋め尽くす米軍艦からの艦砲射撃・・・・・・・そんな状況の中で、投降することなど考えもしない当時の教育の恐ろしさ。
映画を観ていて涙は出ない、その圧倒的な体験談に打ちのめされただ呆然と画面を見ていた。
考えてもみてほしい、15歳から19歳の普通の女生徒達は、先生になるための勉強や裁縫や書道や音楽の勉強をしていた生活から突然戦場に放り込まれ、手術で切断される足や手を持たされゴミ捨て場に捨てにいく。湿って蒸し暑い壕の中は数千人の重傷者であふれ、腐った血や膿や排泄物の臭いが充満している。水や食事を取りに行くのも命がけである。
そして解散命令という名目の日本軍の責任放棄。
ひめゆり学徒隊の犠牲者は211人を数える。
映画の最後にひとりの生存者が語る。この方は週に何度か読谷から2時間半かけてバスで記念館に通い、体験談を語っておられる。記念館にはひめゆりの人たちの当時の顔写真が展示されている。
「ここに来て写真を見るとみんな別れたときと変わらない顔をしているんです。私は、いずれあの世に行くときには平和な時代の楽しい土産話を持っていって、みんなに語って聞かせるつもりです。」

よくぞ語って下さいました、ありがとうございます。

ボクは会場を出て、劇場の向かいにある希望が丘公園の暗がりでしばらく呆然としていた。

桜坂劇場にて4月6日まで公開中
by tenmorimori | 2007-03-23 22:03 | Films | Comments(8)
Commented by だんなちゃん at 2007-03-24 23:16 x
62年前の沖縄も今と同じ青い海だったんですよね。
違うのは狂気の渦の中だったって事でしょうけど。
何度も沖縄を訪れ、ひめゆりの塔や資料館にも数回行きました。
資料で見たものより、実体験は壮絶だったでしょうね。
この語りは後世に残さねばならないと思いますが、語られる方は80歳を超えられているのですよね。
語って頂ける方がまだまだ元気でいらっしゃることと、人類が平和であることを願います。
Commented by tenmorimori at 2007-03-24 23:42
ですねぇ、語られた方々もですけど、13年のも間、思い出したくない人にも根気強く説得して、証言を集めて映画にされた監督にも感謝です。
多くの人々、特に当時のひめゆり部隊と同年代の若者に観てもらいたいです。
Commented by くま先生 at 2007-03-25 01:48 x
まず、私が観たいです。
そして、小学生の息子たちに観せたいです、塾の生徒にも・・・・
戦争の怖さ、悲惨さを直接聞く機会がが少ない子供たちに危機感があります。殺戮するゲームを幼稚園のときからこなしてしまう子供たち・・・・不安です。他県で観ることが出来るか確認してみます。
Commented by kyoco-chan at 2007-03-25 11:48
読んでいるだけで、胸が詰まります。
私も何年か前に、ひめゆりの資料館へ行きました。
そこで語り部さんのお話を聞きました。
写真もいっぱい見ました。最後に本を買ってきました。
もいちど見てみようと思います。
そのときは、人生観変わったと思ったのに、
また日々それなりに平和に過ぎていくと、
あのとき感じた気持ち忘れてしまっている。
映画、ぜひぜひ、全国で上映して欲しいです。
語り部さんとともに来て欲しいです。
Commented by etamama3 at 2007-03-25 15:12
だんなさんが初訪沖の際『ゆっくりひめゆりを見たい!』と熱望し、私は前年訪れてたんですけが2度行きました。だんなさんは前年鹿児島で特攻隊(ちゅらん?)の資料館を社員旅行で訪れゆっくり見学出来なかった事を悔やんでいました。私達も生存者の方のお話をひめゆりで聞くことが出来たんですが、本当に胸が詰りました。戦争を知らない私達は日常の事に追われすぐにこの日感じた事を忘れがちになります。TVなどで見る戦争はまるでゲームを見ているかの様な感覚に陥る事さえあります。でも、世界では今もどこかで戦争が起きていると言う事、そして日本にも戦争で苦しんだ人々がいると言う事を忘れてはいけないと思います。皆が戦争や平和について考えるきっかけがいつでも沢山あるといいですよね。
Commented by tenmorimori at 2007-03-26 19:47
>皆さま、書き込みありがとうございます。
5月に東京の中野で上映が決まっているみたいですが、「ひめゆりを観る会」に登録すると上映会のお知らせメールが届くみたいです。
映画ひめゆりのHPに情報があります。
今日、ひめゆりの塔の前を通ると、たくさんの観光客が居ました。
あそこに行くとブルーになるからと、行かない人も多いですが、沖縄で遊ぶ前にあそこに行って、過去の現実を感じる事は大切な事だと思います。
Commented by 金魚 at 2007-03-27 22:42 x
戦争放棄・・・ということを考えました。
それは、戦いの被害者になりたくないというだけではなく、加害者にもならないという宣言、さらにはその信じ難い狂気の同時代人にすらならない!という強固な意思表示ではないのでしょうか。
「進駐軍に押し付けられた9条」というレトリックで時代が押し切られようとしています。
しかし戦争の本質を考える機会と力は私達にはまだ残されていると信じています。
父は学徒動員で原爆直後の長崎に入りました。
60年経っても話し好きな父がこの時のことを語ったのはたった2回きりです。その語られなかったことの意味をも深く考えたいと思います。
歴史の問題ではなく、間違いなく未来の話しです!!

てんもりさんお邪魔してごめんなさい。
自分の考えを語る場所は自身で作らないとだめですね・・・。
これから作ります。いつもパッションいただきありがとうございます。
風邪お大事になさってください。


Commented by tenmorimori at 2007-03-29 21:37
金魚さん、貴重なご意見ありがとうございます。
普段忘れている事を思い出させられる機会は沖縄に居ると多いですね。
大切なことは「自分の頭で考える事」だと思います。
特に最近の報道は、偏った報道が多いなぁと漠然と感じてます。